ヌージとルブラン嬢の会話を盗み聞きするという、口にすることすら恐ろしい計画を実行すると決めた二人は、そのまま、何食わぬ顔で見張りを続けておりました。
二人は、ルブラン嬢がヌージを出迎えに階下に降りる、その一瞬にルブラン嬢の部屋に忍び込もうと決めました。やがて間もなく、屋敷の外がにわかに騒がしくなってきました。
いよいよヌージが到着したのです。二人は思わず顔を見合わせると、唾を飲み込みました。
「おまいさ〜ん」
ルブラン嬢が、日ごろ聞いた事も無い猫なで声を上げながら、二人を突き飛ばすようにして階段を降りていきました。ウノーとサノーは、もう一度顔を見合わせてうなずくと、ルブラン嬢の部屋に駆け込みました。
身軽なサノーは、さっと部屋の中央にある大きな寝台の下に潜り込みました。そしてほっと一息ため息をつきながら、ウノーはどうしただろうと隣を見てみました。が、サノーが見たのは、まだ寝台を覗き込んでいるウノーの顔でした。
(こ、こら!早くしろ!)
声にならない声で、サノーが叫びました。
「さ、サノー、俺全然入らないぞ〜」
見ると、ウノーが背中に背負っている大きな鉄鍋が引っかかっているようです。
(背中だ!)
サノーは、手振りで鉄鍋を指し示し、長い腕を伸ばすと、ウノーの身体から鉄鍋を取ろうとしました。
「おまいさ〜ん。 ああ、久しぶりだねぇ。また男っぷりが上がったんじゃないかい?」
遠くからルブランの声が聞こえてきます。すでに階段を昇り始めているようです。
(は、早くしろ〜)
サノーは力一杯、鉄鍋についている肩紐を引っ張りました。ブチっという鈍い音と共に、鉄鍋だけがまるでウノーの身体から吹き飛んだように、
寝台の下に飛び込んできました。サノーは危うい所で眉間を斬られる所でした。しかし肝心のウノーの身体はまだです。やっと丸い顔が入ってきたという所でした。
「旦那の為に、海に潜ってまでスフィアを探して来たんだけどねぇ、そんなに見つからなかったんだよぉ。」
ルブラン嬢の声が、更に大きさを増してきました。ヌージの義足の音なのでしょう、カツン、カツンという金属製の音も聞こえてきました。
(うう・・・サノー)
ウノーも次第に大きくなってくるルブラン嬢の声に、目が涙目になってきました。
鉄鍋は外れたけれど、大きなお腹がつかえていたのです。
(こんな事なら、朝飯腹いっぱい食べるんじゃなかったぜ〜)
(泣くヒマがあったら、腹を凹ませろ!)
サノーは声にならない声で怒鳴りました。その声にハッとしたウノーが、思いっきり息を吸って、腹筋に力を込めました。ウノーのお腹が僅かに凹んだ瞬間、サノーは力一杯引っ張りました。
ウノーの身体が寝台の下に入ったと同時に、ヌージの義足が階段を昇りきった音がしました。
(ふう〜)
二人は狭くなった寝台の下で、ため息をつきました。
「さぁさ、座っておくれ。」
ルブランが、ヌージに鏡の前の椅子を勧めているようです。その椅子は、ヌージが訪れる時だけこの部屋に運ばれる、二人掛けの椅子でした。
少しでもヌージに寄り添っていたいという、ルブラン嬢の願いが込められた椅子でした。ウノーとサノーは息を殺して、
ヌージがどうするのか、見守って ―― と言っても二人には足しか見えませんでしたが ―― おりました。
「ルブラン、悪いがあまり時間が無いのだ。早速だがスフィアを見せてもらおうか。」
二人は思わず顔を見合わせました。
なんという事でしょう!久しぶりにこの館を訪れたというのに、ヌージは腰掛ける時間さえ惜しむというのです。二人はルブラン嬢の事が、
とても心配になりました。きっと胸を引き裂かれそうな程、悲しいと感じているはずです。
「そ、そうかい。相変わらず忙しい身なんだねぇ。」
ルブラン嬢の声が、少し上ずっています。二人にはルブラン嬢の悲しみが手に取るようにわかりました。果たしてそれをヌージが感じているのかは、とても疑問でしたけれど。
やがて箱を開ける音、ごつごつとスフィアがぶつかる音がして、上映会が始まったようでした。
今回発見したスフィアは全部で4つ。しかしそのうち3つまでは、単なる個人の記録のようで他愛も無い映像が映っているものばかりでした。
スフィアハントが脚光を浴びてすぐの頃は、探すとすぐにスフィアを見つけられたし、ヌージが喜ぶ類のスフィアもたくさん見つけられたのです。
けれども最近はなかなか見つからない上に、見つかっても単なる個人の記録である事も多く、なかなかヌージを喜ばせられないのでした。
3個目の上映が終わったところで、ヌージがふとため息を漏らしました。
「やはり、なかなか見つからないものだな。」
「お、おまいさん?まだ1個残ってるよ。これを見てごらんよ。」
ヌージの声は、別段気落ちしたようには聞き取れませんでしたが、ルブラン嬢は必死に場の雰囲気を盛り上げようとしています。
いつもは女王さながらに振舞っているルブラン嬢のそんな様子に、ウノーとサノーの心は痛みました。こんなに必死なお嬢を見るぐらいなら、
こんな計画思いつかなければ良かったと、二人は真剣に後悔しはじめました。
「ほ、ほら、ヌージの旦那。これ、これ!何に見えるさね?」
やがて4つめのスフィアが映し出されたようです。これは発掘した時にカタチがかなり古いものだったので、
皆で期待していたスフィアです。肝心の映像も、かなり痛んでいましたが、どうやらベベル宮の風景が写っているようでした。
「!」
映像を見たヌージの雰囲気が明らかに変わりました。これはお目当てのスフィアだったようです。
「これは・・・ベベルだな。しかも相当古い。機械戦争の頃か?」
ヌージは、まるで独り言のようにつぶやきました。目の前にはルブラン嬢がいるはずなのに。
「そうだろ?これはきっと旦那の役に立つスフィアだと思ったんだよぉ。」
ルブラン嬢が明るく言いました。必死にヌージに存在をアピールしている、というカンジです。
しかし、このとびきりのスフィアの映像は短くて、あっという間に終わってしまいました。
「これだけでは・・わからんな。」
見終わったヌージの声は、また元の暗い声に戻っておりました。二人にはルブラン嬢のため息が聞こえてくるようでした。
「これで終わりか。」
声と共に、ヌージの義足がカツンと踵を返す音が聞こえました。
「あ、ええと、食事、して行っておくれよ、おまいさん。おまいさんの好きな物、たくさん用意したんだよ。」
カツン、カツンと、ヌージの義足が出口に向かって音を立てています。その後を、ルブラン嬢の紫のドレスがついていきます。
「また遠路はるばる帰るんだろ?少しは疲れをとってからお帰りよ。」
ルブラン嬢は必死に引きとめようとしているようです。それはそうです。何しろ今度はいつ会えるのかわからないのですから。
「ね?少しで良いからさぁ。」
ルブラン嬢の必死の願いが届いたのか、ヌージの義足の音が止まりました。
「ルブラン。」
明らかに先ほどまでとは違う、優しい声でした。
「な、なんだい?」
ルブラン嬢の声が完全に裏返っています。きっと顔中、いや耳まで真っ赤になっている事でしょう。
「いつもゆっくりできなくて、悪いと思っている。だが俺が帰らんと、何も出来ない奴等がたくさん待っているんだ。」
「う、うん・・・」
「いつもありがたいと思っている。」
「そんな、謝らなくて良いんだよぉ。あたしが勝手にやってる事なんだからさぁ。」
「ああ、ありがとう。ルブラン。では失礼する。」
「あ?ああ、おまいさん。気をつけて。」
二人は再び顔を見合わせました。
(なんて上手い言い訳だ!ヌージ!)
ウノーが、口をパクパクして、唇だけ動かして言いました。
確かに、あっという間に、ルブラン嬢に引き止める口実も無くさせて、今もう、階段を降りて行く音が聞こえます。
(おい、感心してないで、出るぞ)
サノーは手振りと口パクで伝えました。ルブラン嬢がお見送りに行った今しか、ここから脱出する時間はありません。二人は慌てて寝台の下から、転がり出てきました。
やがて、自室に戻ってから、二人は感想を述べ合いました。
ヌージの言葉に、きっと嘘は無いのでしょう。青年同盟の盟主として色々な噂も耳にしますが、たかだか数個のスフィアの為にヌージがルブランを騙す理由は無いように思えました。
しかしながら、ヌージとルブランが、ルブラン嬢が語るような関係にあるとも思えません。なにしろ二人が聞いて困るような、色っぽい会話は全くありませんでした。
「お嬢の片思い・・・・かぁ。」
ため息をつくように、ウノーが言いました。半ば予想していた事とはいえ、先ほどのルブラン嬢のけなげな様子、そして今も耳に残る必死な声は、ルブラン嬢の側に仕える者として耐え難いものでした。
「そうだな。騙している、とまでは言えないが、ヌージの態度は・・・・」
サノーは、扉を背に、腕組みをして仁王立ちのまま答えました。
「あれでは、お嬢の一人芝居ではないか。」
サノーが、そう言葉を続けた時でした。
目の前に座っていたウノーの顔色が、さあっと音でもたてそうな程急激に、真っ青に変わりました。
「さ、さ、さ・・・」
ウノーは、口をぱくぱく ――まるで呼吸の苦しい魚のような顔で ―― 音にさえならない「声」を上げておりました。
「さ?なんだ? 『さ』 とは。」
サノーは訳が分からずに、じいっとウノーを見つめておりました。その瞬間。
ばっちいいいいん!
ルブラン嬢のハリセンが、景気の良い音を立ててサノーの頭に炸裂し、サノーの細長い体がフラフラと崩れ落ちました。
「なんだいっっ!!おまえたち!!」
そこには、目を吊り上げて、まるで頭から湯気が出ているんじゃないかと思うぐいらい頬を上気させた、恐ろしい顔のルブラン嬢が立っておりました。
ウノーは倒れたサノーの足を掴み、引っ張って、あっという間に部屋の壁際まで後退り、血の気の無い白い顔でルブランを見つめておりました。
「言いたい事、言いやがって・・・・何が一人芝居だいっ!!」
「すすすすすいません!お嬢っ」
ウノーが頭を抱えて防御の姿勢を取りながら、額を床に擦り付けるようにして言いました。
「お、お、お、俺たち、お嬢の事が心配で・・・」
ウノーは、まだ半分意識朦朧としているサノーの分まで、言い訳しなくては、と思いました。先ほどのヌージのように、上手い言い訳が言えれば良いのですが。
「大きなお世話だよっ!!」
ウノーの頭上から、雷のようにルブラン嬢の声が降ってきます。ウノーは大きな体を小さくかがめました。
「大きな・・お世話だよ。」
すると急にルブラン嬢の声が小さくなりました。何事だろうと思い、ウノーは恐る恐る顔を上げました。
「判ってるさ、あたしの・・・片思い・・・だって。」
そう言ったルブラン嬢の瞳からは、ポロポロと大粒の涙がこぼれておりました。
「お、お嬢!」
ウノーと、やっと頭がはっきりしてきたサノーは、そろって声を上げました。
だって、あのお嬢が、誰よりも強そうで、スピラに怖い物なんて無さそうなあのお嬢が、泣いているんです!
「うわあああっっ」
ルブラン嬢は、泣きながら去って行きました。階段を駆け上がり、大広間を超え、更に階段を上がり、自室に戻るまで ―― 泣き声は続いておりました。