ワシの名はオルフ・オス。
はるか昔に滅びた森の民の生き残りじゃ。
今はただ師の墓守としてのみ、ここ地下神殿に居を構え生き延びておる。
我が師オーソンは偉大な師であった。
森の民と人の子が初めてまみえた頃、ほとんどの森の民は人の子を蔑んだ。
人の子は技術もなく、魔法も知らず、ただ飢えと寒さに苛まれているような存在に見えたのじゃ。
しかし、我が師は違った。
人の子にも分け隔てなく接し、人の子の為になるようにと癒しの泉を作ったのじゃ。
癒しの泉の水は他の水とは違い、その水を飲んだ者はたちまちのうちに体力を回復した。
人の子は我が師にあふれんばかりの感謝を捧げ、師もそのような人の子達を暖かく見守っておった。
しかし、厄災が訪れたのじゃ。
森の都の最奥からあふれ出てきた闇の者達はやがて人の子の住まう地上にまで広がっていき。
闇の者達により傷ついた人の子達が我先にと「癒しの泉」に群がったのじゃ。
そのようなときには人は自分の事が第一。
泉の水を巡って今にも大きな争いが起こりそうになっておった。
我が師は自らが作ったものが争いの種になることを悲しみ、泉の水を止めてしまわれた。
人の子達は次々と闇の者達によって斃れていったが、それは森の民とて同じことじゃった。
我が師、オーソンもやがて闇の者によって斃れてしまわれたのじゃ。
息を引き取る前に、師はワシと2人の弟子を呼び寄せ言われたのじゃ。
自分の墓を地下墓地の最奥に作るようにと、そして、墓と共に癒しの泉を動かす祭器を封印するようにと。
ワシらは師の言葉通り、師の墓を地下墓地の最奥に作り、3つの鍵をもって封印した。
3つの鍵はそれぞれの者が持ち、決して他人に渡さぬようにと言いあってな。
そして祭器が闇の者の手に落ちぬようにばらばらに逃げたのじゃ。
ワシはこうして生き延びたが、後の二人の行方はようとして知れなかった。
たぶん、地下墓地のどこかで闇の者に襲われ、今頃は骨と朽ちてしまっておるのじゃろう。
森の民を滅ぼした闇の者達はそれだけでは飽き足りなかったようじゃ。
今度は人の子をも滅ぼしてしまうつもりらしい。
「滅びの像」とかいうものが人の子の王の手元に渡り、それが元でその王や国に大きな災いが降りかかったようじゃ。
災いを収める為に信念の強そうな隊長が遠征隊を率いて森の都へと下りて行くのをワシは見送った。
遠征隊の弱き者達は都に至る前にココで命を落としていった。
先に進むことに脅え、逃げ帰ろうとする者達にも容赦なく闇の者は襲いかかり、その屍に乗り移り自らの兵士としていったのじゃ。
おかげで遠征隊は戻ることも叶わず、先に進むしかなくなった。
都の奥へと隊長と遠征隊は消えていき、今まで帰ってきた者は一人もおらぬ。
あの隊長は闇の者においそれとは屈せぬ力を宿しているようじゃったが。
たぶん、今頃は帰らぬ者になってしまっているのではないかの。
その後、遠征隊の行く末を気遣って何人かの者がこの地下神殿を訪れたが、皆、都に行き着く前に闇の者の餌食にされてしまったおった。
そのような者が通り過ぎるたびに、ワシは懐に大事にしまっておる封印の鍵を握りしめたものじゃ。
ワシ以外の弟子は、師の最期の言葉を、もう二度と祭器を誰にも渡すなという意味に取ったようじゃったが、ワシは違った。
我が師は、人の子の為になるのならば、また癒しの泉を復活させたいと思っていたような気がするのじゃ。
遠征隊の隊長がワシの住まいの前を通り過ぎていったとき、ワシはこの鍵を隊長に渡そうかどうか迷っておった。
彼には泉を正しく管理する能力があるようだし、そしてなによりも今の彼らに必要なものだと思ったのでな。
しかし、ワシは声をかけるのをためらった。
見た目は正しい剣士に見える彼のまわりを何か禍々しいものが覆っているような気がしてしかたがなかったからじゃ。
彼に闇の者を封印するのは無理じゃ。
ワシは彼らがなすすべもなく斃れていくのを見送るばかりじゃった。
後悔の念ともなんともつかない気持ちで日々を過ごしていた頃。
あの男が目の前に現れたのじゃ。
ワシはそのとき、師の墓参りにと、地下墓地の最奥におった。
地下神殿に下りてきた者は何人かいたが、地下墓地のしかもこのような最奥までたどり着けた人の子がいたということに、ワシはまず驚いた。
しかもこのような場所に不釣り合いなほどの軽装で。
ここにたどり着くまでにそれはそれは多くの激戦をくぐり抜けて来たのじゃろう。
男には多くの傷があり、とても疲れているようじゃった。
男は傍らにいるワシには目もくれず、湧き出している泉に向かった。
「お、おい、その水は」
ワシが声をかけるひまもなく、男がごくごくと泉の水を飲んだかと思うと。
見る間に顔色が土気色に変わった男は、吐き気をおさえるようにその口元を手で覆ったままワシを睨みつけた。
「その気味の悪い色をした水は毒水じゃ。飲むと毒に冒されてしまうぞ」
これでは何かワシが悪いことをしたようではないか、濡れ衣じゃと思いつつワシがその男を見守っておると。
男は懐から毒消し草を取りだし、慣れているといわんばかりにむしゃむしゃとほおばった。
みる間に男の顔色は元に戻り、ワシは心底ほっとした。
なんとも変わった男じゃ。
ワシのような老人がこのような所にいるのを不審に思っていろいろ問いかけてくるじゃろうか。
ワシは男が話しかけてくるのを待ったが、彼はワシのことなどまるでいないかのように、封印された扉に向かっていった。
2、3度扉を押しているようじゃったが、力任せでは開かないことに気づいたのであろう。
何か仕掛けがあるのだろうかと、扉の横のくぼみを穴が開くほど見つめておった。
その姿を見ておったら不思議な気持ちがわき上がってきたのじゃ。
今初めて会ったばかりのこの男、それなのにこの男になら我が師の祭器を託してもいいような気持ちになってきたのじゃ。
それで鍵の存在を知らせようと背後から彼に語りかけた。
「墓参りをするには鍵が……」
ところがワシが言葉を発する間もなく、彼は懐から見覚えのある鍵を取り出したのじゃ。しかも2つも。
おぬしはおそらく地下墓地の奥でばらばらに斃れてしまったであろう、我が仲間を2人とも見つけたのか。
ただのひよわな人の子にしか見えないのに、いったいどうやって。
ワシが驚いている間に、男は鍵を扉の両側にはめて封印を解き、扉を開け、なんのためらいもなく中に入っていった。
お、おい、その中には!
師の墓を守っておるのは扉の封印だけではない。
師の墓の前室には師を慕っておった多くの弟子達の墓があり、侵入する者があれば、その骸に残ったわずかな思念で立ち上がり、その者が斃れるまで攻撃をやめぬのじゃ。
扉は閉まってしまっておるので中の様子はわからぬが、ワシの予想どおり部屋の中では死者達がよみがえった音が。
あきらかに侵入者を攻撃しておる音がしておった。
その音はしばらく続いておったが、やがてもとのような静寂が戻った。
あの男、斃れてしまったのか、ワシがちゃんと声をかけてやっておれば。
ワシが沈んだ気持ちでうつむいておると、扉が開く音がした。
妙なことじゃ。死者は侵入者が斃れればまた墓に戻るはず。ましてや扉を開けて外に出ることなどないはず。
不審に思い扉を見つめていたワシの前に現れたのは。
あの男じゃった。
男は全身に刀傷を負い、荒い息をしておったが、まっすぐに立っておった。
あのおびただしい数の骸を全て片付けたというのか。
たった一人で?
この男、何者じゃ。
ワシが驚いていることなぞ意にも介さず、男は無愛想に手を差し出してきた。
一瞬なんのことだかわからなかったが、しばらくして男が求めているものがわかった。
「そうそう。中の扉にも鍵が掛かっておった。」
ワシは動揺を隠そうとなるべく平坦な声で言った。
ワシの気持ちを知ってか知らずか、男は無言で鍵を受け取り、再び扉の向こうに消えていった。
そう。我が師の墓にたどり着くにはもう一つ鍵が必要なのじゃ。
あの男はそれをワシが持っておると察したに違いない。
とっさに渡してしまったが、渡さなかったらどうしていたのじゃろう。
斬り殺してでも奪おうとしたじゃろうか。
やがて、奥の扉が開く音がして。
何かを取り出す音がしているようじゃった。
あの男は祭器を手にしたのじゃな。
はたして、男は祭器を手に戻って来た。
ふっ。しかしこれが何に使うものかおぬしにはわからんじゃろ。
これは我が師、オーソンが……おいっ!ちょっと待て。
男はワシには目もくれず、祭器を手に地下墓地を後にしようとしているではないか。
まさか祭器の真の価値もわからず、チンケな財宝だと思ってどこかに売り飛ばしてしまったりはしないじゃろうな。
おい、待て、待てというのに。
男はそこまで馬鹿ではなかったようじゃ。
その祭器をどこに用いればいいか既に察していたようじゃった。
泉の真下、癒しの祭壇がある小部屋の前で彼は立ち止まり、何かを考えているようじゃった。
そうじゃ。おぬしが察しているようにその部屋の中の祭壇に祭器を置けば、癒しの泉は復活する。
それはおぬしの役に立つであろう。
しかし、問題が一つある。
小部屋には大グモが巣を張っておって、扉を開けたものを容赦なく攻撃してくるのじゃ。
そのクモを片付ける力がおぬしにあるかな。
扉の中では既に獲物に気づいた大グモが動き出した音がしておる。
男もそれに気づいたのじゃろう。
墓地の扉を開けたときとは違い、ずっと扉の前で立ち止まったままじゃった。
長い時が過ぎた後。
男はようやく動いた。
おお、ようやく決心がついたのか。大グモと対峙するのじゃな。
しかし、男は扉を開けることをせず、なんとくるりと後ろを向いて立ち去ってしまったのじゃ。
ち、ちょっと待てーい。
男は何事もなかったかのように祭器を手にしたまま、森の都の方へと歩を進めた。
待て。泉を復活させぬまま先へ進むのか。それは無謀というものじゃ。
泉の水はこの先おぬしの支えとなるじゃろう。
たかが大グモに腰が引けて命を縮めるつもりか。
ワシの気持ちなぞひとつも察することなく、男は都へと消えていった。
男が都の奥へ消えてからずいぶん経った。
たぶん都の奥へ向かった他の者と同じく、どこかで屍になってしまっておるのじゃろう。
そして、我が師の祭器はどこともしれない場所で師が願ったように人の子の役に立つこともなく朽ちてゆくのか。
なぜ、あんな男に鍵を渡してしまったのか。
ワシは暗い気持ちで日々を過ごしておった。
もう地下神殿を訪れる者もなく、静寂のみが続いておった。
ところがある日、誰かの足音が響いてきたのじゃ。
また人の子が地上から下りてきたのかと思っておったがそれは違った。
その足音は地上ではなく都の方から響いてきたのじゃ。
一瞬、新たな闇の者が来たのかとワシは身構えた。
しかし、それは聞き覚えのある音じゃった。
そう、祭器を持ったまま都の奥へと消えて行ったあの男の。
住まいの扉を細く開けて外を窺っていると、その通り。
あの男がワシの住まいの前を通り過ぎていくのが見えた。
あれからまた激しい戦闘を繰り返していたのじゃろう。
男は以前に見たときよりひとまわりもふたまわりも逞しくなったようじゃった。
そして、男の手には見慣れたあの祭器が。
男は祭器を手に、祭壇の扉の前に立った。
おぬしは泉のことを忘れたわけではなかったのじゃな。
扉の向こう側では、気配を察して、大グモが動き出した音がしだした。
かなり興奮しているようじゃ。
無理もない。あれから訪れる者もなく、エサらしいエサを食べてはおらぬからな。
男はゆっくりと扉を開けた。
そして中に入っていくのかと思いきや。
男の手から何かが飛び出したのが見えた。
それは火の玉のようじゃった。
あれは、魔法、そう魔法じゃ。
何故じゃ。何故人の子のおぬしに魔法が使えるのじゃ。
男は大グモが口から発する糸の攻撃を巧みに避けつつ、大グモに向かって魔法を打ち続けた。
これなら致命傷を受けずに勝てるかもしれぬ。
じゃが、いくら魔法が使えるといっても所詮人の子。
持てる魔力はたいしたことはなかろうて。
思ったとおり、男の魔力は大グモを倒す前に尽きてしまったようじゃった。
しかし、男は動じる気配もなく、懐から透明なビンを取り出すと一気に中身を飲み干した。
あれは、あの水は。
癒しの水じゃ。
しかも我が師、オーソンが作った体力を回復する癒しの水とは違い、魔力を回復する水。
あの水は都の中心、聖なる森にしか湧いていないはずのもの。
おぬし、そんな所までたどり着いておったのか。
男の戦闘を見守るうちに、ワシの心には既に諦めきっていたある思いがわき上がってきたのじゃ。
闇の者を封じ、人の子と森の民の元にまた光を取り戻すこと。
この男ならやってくれるやもしれぬ。
しかし、その希望を打ち砕くように男はよろけ、大グモの吐き出す糸の攻撃をまともにくらってしまった。
男はそうとうな傷を受けたようじゃった。
あれは薬草などでは一気に治せまい。
この男もここまでか。
しかし、やはり男は無表情のまま何かを唱えた。
あれは、あれは癒しの魔法。
見る間に男の傷は回復していった。
おぬし、攻撃の魔法だけでなく回復の魔法まで修得しておるのか。
本当におぬし、何者なのじゃ。
闘っている男の後ろ姿を驚嘆しながら見ていたワシはあることに気づいた。
男の耳が人の子のそれとは違いほんの少しとがっているように見えたのじゃ。
ワシら、森の民の耳がそうであるように。
聞いたことがある。
森の民の大部分は人の子と交わることを嫌い、都から出ることはほとんどなかったが、我が師、オーソンのように親しく人の子と交わる者もあったと。
しかも、人の子の国に移り住んでいった者もあったと。
あの男はそのようなワシらの同朋の血を継いでいるのじゃろうか。
そうであるなら、ますますワシの夢をかなえてくれるやもしれぬ。
ワシの願いが通じたのか、ほどなく大グモは斃れた。
彼は勝ったのじゃ。
大グモが完全に動きを止めたのを確認してから彼は祭壇に近づいていった。
そして、祭器を祭壇に収めた。
そうじゃ。ちゃんと何をすべきかわかっておるのじゃな。
祭壇の上に置かれた祭器から光がほとばしり、まっすぐに頭上の泉へと昇っていった。
男はしばらくの間それを見上げていたが、やがて部屋を出て泉の方へと向かって行った。
ワシは男に気づかれないようにそっとその後をついていったのじゃ。
地上に出たのは何年ぶりじゃろう。
相変わらず空は暗く曇り、未だ厄災が続いていることを示しておった。
そのような禍々しい風景の中、ただ復活した癒しの泉のみが清らかな水をたたえておった。
男はその水をずっと見ておった。
どうじゃ。これが我が師、オーソンが人の子の為に作った泉じゃ。
おぬしが自分の力で復活させたのじゃ。
存分に使うがよい。
ワシが見守る中、男は泉に口をつけ飲み出した。
男の体力が回復していくのが傍目にもわかるほどじゃった。
ところが。
男は信じられぬ言葉を口にしたのじゃ。
「つかえねー」
なに、なんじゃと。おぬし、今なんと言った。
確かにおぬしは体力を回復する魔法が使え、しかも魔力を回復する泉にたどりついておる。
そんなおぬしにはこのような泉は必要ないのかもしれぬ。
しかし、我が師が心を砕いて人の子の為に作り、命を賭けてワシら弟子が守り抜いてきた癒しの泉を「つかえねー」じゃと?
怒りに我を忘れ、ワシはその場に立ちつくしておった。
そのようなワシに全く気づかぬように、男は泉から立ち去り、地下神殿を抜け、再び都の奥へと消えていった。
それ以来その男の姿を見ることはなかった。
あたりまえじゃ。あのようなものの価値のわからぬ男なぞ、どこかでのたれ死にする運命がふさわしいわ。
じゃが、怒る心の片隅でワシは考える。
あのような男だからこそ闇の者に屈することなく渡り合えるのではないかと。
ふたたび人の子と森の民の元に光を返してくれるのではないかと。
はて、何の話じゃったかな。